五感でみつける 目で感じる

ビーチコーミング

浜辺で見かけるガラスのかけら。流木。異国からとおぼしき謎の空き缶。
夏の海では、さまざまな漂着物が天然のギャラリーのごとく天日干しされ
砂浜を歩く私たちの目をなごませる。
ビーチコーミング。こうしたモノたちを拾ったり眺めたりービーチでの漂着物に親しむ活動の総称だ。
ゴミといえばゴミ。宝といえば宝。
目にする人の感覚によって受け止め方の振り幅は大きい。

わたしはというと10代の頃お世話になったオーストラリアの海辺の町に住むホストマザーの教えにより、自然界の分身(貝がらや小さな小枝など)は浜辺にあるからこそ完全な姿。という美学を未だ忘れられずにいるため、拾うというよりもっぱら観察する側に徹している。

―それにしても海風が本当に心地いい。ゆるゆると波際を歩きながら芯から解放されていると、小学生になるかならないかの女の子を連れた母娘の会話が明るく耳に届く。

  

「これ、なんていう貝?みどり色が透きとおってとってもきれい。」
「あ、これはね、ガラスの破片だったものが波ですべすべになったの。」
「ガラスなの?」
「そう、この青いのもガラス。」
 -いろんな形があるね、ビー玉とは違うね、とはしゃぐ少女がただただ愛らしい。
「わたし、これ宝ものにする。もっと見つけたい。みんなに宝ものみつけたい。」

遠ざかりながらも振り返っては思わずその子の姿を追ってしまう。懸命にさまざまなカタチのガラスを手に取っては天にかざして確認している小さな後ろ姿。
きっと彼女は家族分のガラスを満足ゆくまで探すのだろう。
今夜の食卓はビーチでの収穫の話題でもちきりに違いない。

―海風。砂浜。愛らしい母娘。
思いがけず遭遇した光景が今日一日をまあるく象る。
平和と穏やかさを連れてきたのは海なのか少女なのか。
彼女が見ているであろう光溢れる世界がまぶしくて、
手にしたまますっかり冷めてしまったコーヒーさえ味わい深い。
いい一日。
足取り軽く空を仰ぐ。うろこ雲。こころなしか秋の気配だ。

2019年8月15日 

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Miki

スタイリングフォトグラファー
フリー翻訳(英語)、ライター

1971年山口生まれ。
幼少の頃から夢は世界へ向かい、念願叶って海外と日本の架け橋となる事業に長年従事。異なる文化、訪れた国々の光や色、人々の暮らしぶりに大いに触発される。その後テーブルフォトのメソッドを習得。日常の中でこころ躍る瞬間を捉えることに情熱を傾けるようになる。そうした暮らしの中の美しさを届けるフォトエッセイをmahinaで発信しながら、フィンランドのライフスタイルや教育事情を翻訳を通じ日本に紹介したり、英語学習を始め日本の子どもたちへの異文化教育に邁進する日々。

【instagram】
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