第13回 塩見麻衣美さん

鏡の中で月を知る



2015年7月2日


月を意識するようになったのは何年も前のこと。
ある晩、手作りの美容オイルをたっぷりつけて、フェイスマッサージをしている時でした。ふと鏡の中の自分の顔が、いつもよりキュッと引き締まっているように感じたのです。次の瞬間、「あ!」とひらめくような何かに背中をおされて、ダイアリーをめくると、その日は「新月」でした。

それからというもの、ことあるごとに月を意識しながら、鏡の中の自分と向き合いました。そして月暦によって微妙に変わるフェイスラインや、体の変化、気持ちの変容など・・・色々なことに気づきはじめました。そんな日々のなか改めて、自分も宇宙の一部なんだなぁ~とつくづく実感。

今では当たり前のように、肌のケアはもちろん、五感や心の微細な変化に対しても、月を意識するようになりました。さらに、スキンケアづくりの基剤として欠かせないハーブのアルコール抽出の仕込みも月暦を考えて手仕事をしています。そうしているうちに、月のサイクルを意識することは、まさにライフスタイルになりました。

たとえば、欠けていく月のなかでも下弦の月から新月にかけては、ハーブの成分がアルコールに抽出される時間が早くに出来ます。又、この時期はわたしの顔もシェイプされやすくリフトアップマッサージの効果が感じやすいのは確かです。さらに感覚が鋭くなるので必要なハーブやフラワーエッセンスを選ぶことにも迷いが少ない。

反対に、上弦の月から満月にかけての頃は、寝る前に飲むローズヒップサプリメントの効果がより高まるように感じます。ビタミンCたっぷりのローズヒップのサプリメントは毛穴を目立たなくするサポートになるのですが、特に、吸収力の高まる満ちていく月の夜に飲むと、栄養がお肌に導かれやすいようです。

又、満月の頃のわたしは、気分が高揚しやすくエネルギーに満ちているとよく感じます。時に元気を通り越して口論するパワーまでもたらすほどです(笑)。逆に新月の頃は気持ちが静かになり冷静です。わたしの場合は時として心のエネルギー不足を感じる事も。

・・・こんな風に月に呼応する自分のパターンを知ることは、色んな意味で助けになります。

わたしのなかで月の存在がクローズアップされてからもう大分経ちますが、今も鏡に映る自分の素顔と向き合いながら月を感じています。ハーブやアロマ、フラワーエッセンスのもたらしてくれる植物のチカラと月のチカラ。何とも幸せなひと時です。

時折ふと、宇宙にうかぶ二つの星に想いを馳せます。地球に寄り添ってくれている月の姿。この二つの星が引き合う事で起こる変容は、繰り返し続く宇宙の営みです。太古の昔、月がそばにいてくれたからこそ、わたしたちの命は誕生したと言われます。月を意識するということは、自然とともに生きること・・・もっと言ってしまうと、宇宙のなかの自分と触れ合うこと。
・・・今日は満月。鏡の中のわたしは月のリズムを肌で感じ、自分のなかの“宇宙”に触れてひとりワクワクしています。


塩見麻衣美 / 太陽星座おうし座・月星座双子座・東京都生れ
広告代理店で販促企画に携わり、その後、大手企業に転職し商品開発、商業施設開発の企画に従事。多忙な日々のなか、自らの不調をきっかけにフラワーエッセンスに出会う。ハーブやアロマテラピーも含め、自然界の癒しのチカラに助けられ、学びを深めていった。
2006年 ニールズヤードレメディーズ フラワーエッセンス アドバンストコース修了。
2006~2007年 国際植物療法協会(現在 自然療法機構)にて植物療法士1級取得。
2008~2010年 カリス成城 初台店に勤務。販売及び店内ミニワーク講師に従事。
2011年~ カルチャースクールをはじめ、様々なところでハーブやアロマの講師を務める。
2013年 自然療法機構にて自然療法士取得。 同機構にて講師会員として所属。
現在は、響探求会をはじめ様々なかたちで講師をさせていただいている他、“月とハーブとお肌” をテーマに自宅ワークルームにて五感でつくるハーバルスキンケア “ヒーリングスキンケア” のワークショップを毎月開催している。又、マヒナファーマシ―Webマガジンのセラピストリレーにて「月とハーブビューティ」をテーマに寄稿させていただいている。
ライフワークは“月とハーブと心と体” について独自に探求すること。



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第12回 松本生さん

僕と月と珈琲



2015年5月4日


僕にしかできないことで
誰かを幸せにしたい
そんなことを小さい頃からずっと、考えていた。

2007年の夏、ビクトリア(バンクーバー島)の古いレストランから
議事堂の頭上に現れた月を僕はゆっくりと眺めていた。
するとその月は僕にこう言った。

Does the wind blow there? Does the river flow there?
(風が吹いていますか? 川が流れています?)

すると僕はこう願った。

Please take it to my world
(僕の世界へ連れて行って)

2009年の夏、ハワイ(オワフ島)のオーシャンビューホテルのベランダから
ダイヤモンドヘッド頭上に現れた月を僕はゆっくりと眺めていた。
するとその月は僕にこう言った。

Does the wind blow there? Does the river flow there?
(風が吹いていますか? 川が流れています?)

すると僕はこう願った。

Please take it to my world
(僕の世界へ連れて行って)

2011年の夏、日本の古城の頂上に満天の星と共に現れた月を僕はゆっくりと眺めていた。
するとその月は僕にこう言った。

Does the wind blow there? Does the river flow there?
(風が吹いていますか? 川が流れています?)

すると僕はこう願った。

Please take it to my world
(僕の世界へ連れて行って)

2015年の立春の満月
僕はついに、月のコーヒー を完成させた。
バイオダイナミック農法で大切に育てられた珈琲豆を月光浴に…
そして、祈りながら
満月と新月の時だけに醸す焙煎
ようやく手に入れた自分の世界。

月のコーヒーを作り始めてから、沢山の小さな奇跡が起こり始めた。

下北沢の小さなお店で僕の最高傑作コーヒーが誕生した。

名前はマヒナブレンド

その時、やっと月のメッセージの意味が解ったような気がした。


松本生 / 焙煎士 MODERN COFFEE (鳥取県境港市)

2001年小林正観さん、斉藤一人さん、五日市剛さん、船越康弘さんと出逢い沢山の学びを得る
2007年旅行介護士として障害のある方と世界中を飛び回る
2009年不登校の子供達の居場所、デモクラティックスクールGreen Peaceを立ち上げる
2011年ハワイのコーヒー農園で修行。
ログハウスの自宅カフェ MODERN COFFEEを始める
2015年月のコーヒー完成(全国のお店に珈琲豆を卸ている)
月とハワイを道しるべにマヒナファーマシーとのコラボレーションコーヒー「mahina blend」誕生
マヒナファーマシーストアにて販売中

url : http://modern7.exblog.jp/
FaceBook : https://www.facebook.com/pages/MODERN-COFFEE/1564589923789535?ref=settings



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 第11回 高橋香苗さん 「月が見える時」



2015年4月4日


 今日は月が出ているだろうか、と気にする事がひとつの習慣となって久しい。
さらに、我が家の浴室の細い磨りガラスの向こうにぼんやりとした明かりを見つけると、つい窓を開けて確かめる。「月が出てくれた。」と。
この浴室で見える月はひとつの確認となっている。これでいいと、月が何かしらうなずいて、肯定してくれていると勝手に思い、安心を覚える。
何を肯定してもらっているかは細かく追わない。ただ大きくおおざっぱにうなずいてもらっていると、一人合点しているわけだ。

月は太陽のように決まったところから出るわけではないので、いつも不意に訪れるものだ。山や木や建物の脇からひょこっと顔を出す。あるいは、ふと気づくと開かれた空の真ん中で煌煌と光りを放っている。今夜はやけに樹木の影が強いなと思ったら満月に近かったり、向こうの空の下に、思わず笑ってしまいそうになる猫の爪のような細い三日月が見えたりと、不意に現れ、そしていつも見えると嬉しくなる。
この、見えた時に覚える嬉しい気持ちはなんだろう。
今、私はあなたのことに気づいていますよ、と、自分と月がコンタクト出来たことの喜びだろうか。月を擬人化する感性が、現代に生きている自分の中にもやはりまだ残っている。

確たる信仰はないけれど、気がつけばつい月と自分の中でひとつの関係を結んでいた。
不意に現れる月を前にすると、まず立ち止まるようにうながされる。立ち止まって、これでいいのかと見つめるようにうながされる。もちろん肯定できるものではない。「これでいいのですか。」と、聞きたくなるけれど、月はそう簡単には答えてくれない。煌煌とした月明かりの前では、心の底に畏怖の念を持ちながらただ向かうことしか出来ずにいる。

けれども浴室の細い窓にぼんやり写る月明かりは違う
それが見えた瞬間に心が勝手に受け止める。
「これでいい。と月が答えてくれた。」
だから私にとって、浴室の窓の向こうの月は特別なしるしとなっている。
虫のいい話といえばそれまでだけど、窓の向こうに茶臼山があり、星上山の尾根が延びている。古来、そのあたりの土地は、信仰の対象として霊性に結びつくものが眠っていたであろう地域だ。
自分の住んでいる土地の古い歴史や古代の信仰を思うようになったのは、おととしの11月に月をテーマとしたイベントを自分の店でしてもらったことからだ。それ以来、古代と今を行き来する話を聞くようになり、月と古代の関係、さらにこの土地の底に眠るものは何かと、驚くように面白い史実に触れるようになった。鎮められなおかつ営々と私たちの知らぬところで息づく鉱脈が一体なんだろうかと想いを馳せる。
とはいえ、月と自分の他愛ない関係は少しも変化はしていない。
相変わらず、浴室の窓の向こうに月が見えると、ああ、これで良かったと安心感に包まれるのだ。


高橋香苗
book&gallary DOOR店主

1984年 結婚を機に島根県の松江に移る。
2004年 子育てが一段落したことと、単発のイベントを企画したことで、
      交友関係の質が変わり広がっていたことから、自宅の一部で本や
      テーブル周りのクラフトなどを扱う「DOOR」いう店を始める
2010年 地元の物作り作家や友人たちといっしょに、隠れた山陰ならでは
      ものを探るために。手仕事を紹介するイベント「ひびきあうもの」
      を企開催。以来毎年行っている
現在    従来の本屋とギャラリーに加えて、夏から店内での喫茶も始める
      天然素材で色にこだわった洋服のデザインや地元の工芸家のあゆ
      みを テーマにした本の企画、および執筆に携わっている。



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第10回 谷口みよ子さん 「月を知る、心とつながる」

2015年3月6日


「天にあるもののように地にもある―自然界のリズムとかたち」


ワイルド・ローズ

リンゴの花

ノバラとリンゴの花は5つの頂点を持つ星型をしています。1930年代に英国人医師、E. バッチ博士が完成させた38種のフラワーレメディーの中にも、ノバラとリンゴの仲間、「ワイルド・ローズ」と「クラブ・アップル」の花のレメディーがあります。

「ワイルド・ローズ」は、無気力、無関心な時に、生きる意欲を取り戻す助けになり、「クラブ・アップル」は小さな物事にとらわれている時に、全体的な視点を取り戻させてくれます。

リンゴとバラは、ギリシャ神話の愛と美の女神、アフロディテゆかりの植物です。アフロディテの別名、ヴィーナスは空に輝く金星を意味します。金星は8年をかけて、美しい五角形を描きます。

この5つの頂点を持つ星型が示す割合は黄金比と呼ばれ、線分同士が同じ比率(1.618)を示します。この比率は、オウム貝のらせん形や松かさの渦状の様子、ヒマワリの頭花の渦巻きをはじめ、自然界に多く見られます。そのため古代の人は、これを創造主の定めた秩序の表れととらえて神聖視し、神殿などの建造物や芸術に取り入れました。現代でも本の新書版や名刺、Web/工業デザインなどに使われています。また人間の体も黄金比を秘めています。

自然界にはこの比率に見られるような規則性と、時間における規則性(サイクル)があります。日照時間の最も短い冬至は、破壊(死)と再生を象徴し、この日を境に日は長くなります。休眠の冬から目覚めの春へ、生命が躍動する夏から実りの秋へと移行し、冬に戻ります。この季節の巡りは、地上の生き物が誕生し、死を迎えるまでの一生にも通じています。

私たちは同様のサイクルを内的にも繰り返し体験します。これまでの経験で不要になったもの(過去の考え方や感じ方、行動パターンなど)を壊して新しい選択を行い、あらためて取り組んで経験から学び、その実りを受け取ります。また時期が来れば再び転機を迎え、新しいサイクルに入っていきます。

空に輝く星が地上の生命に影響を与え、植物も動物も人間も、それを受け取っています。多くの場合気づかないものですが、私たちは太陽や月、星たちとともに生きています。また大地には宇宙のリズムをかたちで表現する植物がいます。

心惹かれる植物の横に座り、時間を共にし、自分に合った方法で交流してみましょう。植物の生きる力のパターンに触れて、本来の自分自身に繋がり、より自分らしい道を歩んでいくことができるでしょう。


谷口 みよ子 *mi-tan
フラワーレメディスト。20年ほど前にフラワーレメディーに出会い学び始める。
2000年よりスペースハナを主宰し、リーディングによるフラワーエッセンスの
セッションとサポート・アクセサリーの制作を始める。
訳書に『エドワード・バッチ著作集』『バッチのフラワーレメディー 植物のかたちとはたらき』がある。
昨年より毎月『バッチ 植物のかたちとはたらき』の読書会を行っている。
植物を入口に、全ての存在が一つにつながっていることを日々に見出すのを喜びとしている。
url : http://www.spacehana.info



「星巡りとシャーマニズム ~ 月を巡る旅のお話 vol. 05 ~」
3月20日 20:00〜22:00
下北沢 本屋 B&B
お問い合わせ、お申し込みはこちらまで
http://bookandbeer.com/blog/event/20150320_awanotsuki05/

冬、星々が美しく天に輝く頃、日本の各地では神楽が行われています。そのほとんどがメディアに取り上げられることもなく、人知れず地元の人たちだけで神サマに歌と舞を奉納しています。古事記では、岩戸に隠れた天照大神を呼び起こすためにアメノウズメが踊ったように、神への祈りを捧げるには、古来より人々は歌い踊ってきました。

ほとんどの神楽は舞の演目がいくつもあって、夜を徹して行われます。もちろんそれには理由があります。ある島根の神楽を見に行ったときのこと、神前にはワラ縄で作った巨大な蛇がトグロを巻いた状態で飾られていました。実はそれがお正月に飾る鏡餅の原初の姿で、僕がずっと探していたものでした。蛇や龍は古代アジアのシャーマニズムにとってとても大切な存在です。また、宮崎の神楽では星の神様に祈りを捧げていました。実はまたこれがアジアだけではなく世界のシャーマニズムにとってすごく重要な祈りの形態でもあります。星のひとつひとつに神がいるという物語。各地で観て来たいつつもの「点」が少しずつ隙間を埋めてひとつの「気づき」になりつつあります。

蛇は地界、そして星は天界。今回は月から少し離れて、そんなのお話をさせていただきます。そして、お話と写真の世界を音魂で伝える小島ケイタニーラブさんのライブもお楽しみください。今年は、隔月はじまりの新月に開催していきます。この日は、島根の日本酒を振舞い酒でご用意しております。

「あ。わ。の月」プロジェクト
月をキーワードとして、森羅万象の世界へ足を踏み入れようというプロジェクトです。「あ」は「はじまり」、「わ」は「おわり」のこと。「月」を知ることは命の「はじまり」と「おわり」と「はじまり」を知ることです。



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第9回 谷口みよ子さん 「月を知る、心とつながる」

2015年2月4日




「天にあるもののように地にもある—自然界のリズムとかたち」

フラワーレメディーに「スター・オブ・ベツレヘム」という花から作られる
レメディーがあります。大きなショックや心の傷を受けたときに、心を調整し
バランスを取り戻す助けとなるレメディーです。

この花はとても美しいかたちをしています。
白い6枚の花びら(花被片)は、2つの三角形が逆方向に重なる星型で、
中心に1本の雌しべと、その台座のような6つに分かれた緑色の子房があります。
きらきらと輝く子房の周りを、白い6本の雄しべが王冠のように囲んでいます。
一度見ると、目が離せなくなるほど美しい、完璧な色とかたちをしています。

この花の星型はダビデの星と言われ、上向きと下向きの三角形は、
大地に根ざし天とつながる姿、天と地の合一を象徴しています。
ユリ科の花はほとんどがこのような形をしています。

スター・オブ・ベツレヘムは、花被片6枚— 子房6つ — おしべ6本というように、
6の規則性(リズム)を持っていますが、他にも3、4、5枚の花弁を持ち、独自の
リズムを刻む植物が多くあります。植物と同じように、私たち人間を含む生き物にも
かたちやリズムがあります。

また空を見上げれば、太陽や月、多くの星々が独自の周期を繰り返し、星の動きは
美しいかたちを表します。古代から人々は太陽や月、星の運行を観察して、
生活に役立てていました。

太陽は東から昇り西に沈み、季節は冬至—春分—夏至—秋分とめぐります。
月は地球から一番近く、太陽の光を反射して輝きます。新月—上弦—満月—下弦の
周期を繰り返し、地球の生命に大きな影響を与えています。

太陽系で地球の内側にある水星と金星の動きには、太陽を中心に3のリズムが
見られます。水星は太陽の周りを移動しながら、正三角形を作り、この三角形の頂点を
中心にした円の周りを金星が移動しています。三角形は、点、線に続いて、リズムの
ある安定した形です。また金星は地球に一番近い惑星で、8年をかけて美しい五角形を
作ります。太陽から見るとその形は、5枚の花弁を持つ美しい花のようです。
このように星の運行や周期には、多くのかたちとリズムが見られます。私たちは普段
ほとんど気づきませんが、空にはたくさんの美しいかたちが広がり、そのリズムが
大地にもたらされています。



円は全てのかたちの源です。1つの円の円周上の点を中心点して、もう1つ円を描くと
中央に「ヴェシカ・パイシス」と呼ばれる神聖な図形が現れます。

2つの円の頂点を結んでいくと三角形、四角形が現れ、さらにもう1つ円を加えると、
五角形、六角形、八角形、十角形...と描くことができます。

天体が織りなす形やリズムは、そのまま私たちの住む世界に反映され、植物はそれを
体現しています。また私たち自身の体内にも規則性のある形が含まれています。
内臓の細胞の配列に独自のパターンがあり、DNAらせんの一部には、五角形、長方形、
六角形が見られます。物質的にも人間の体の構成要素は、星くずと同じだと言われています。

このように考えると、私たちは物理的にも象徴的にも、宇宙の星と同じ要素を内に備え、
同じようなかたちとリズムを持つ存在だということがわかります。ならば、私たちが
本来の自分を取り戻そうとする時、太陽や月、天体のリズム、そしてそれを体現する
植物の生命力は、大きな力になってくれるはずです。私たちは同じ質を備えた存在なのですから。

参考文献
『バッチのフラワーレメディー 植物のかたちとはたらき』
(ジュリアン・バーナード. 英国フラワーレメディー・プログラム. 2013)
『超 自然学』(ローレンス・ブレア. 河出出版社. 2000)
『太陽、月、そして地球』(ロビン・ヒース. 創元社. 2012)
『太陽系の美しいハーモニー』(ジョン・マーティヌー. 創元社. 2013)


谷口 みよ子 *mi-tan
フラワーレメディスト。20年ほど前にフラワーレメディーに出会い学び始める。
2000年よりスペースハナを主宰し、リーディングによるフラワーエッセンスの
セッションとサポート・アクセサリーの制作を始める。
訳書に『エドワード・バッチ著作集』『バッチのフラワーレメディー 植物のかたちとはたらき』がある。
昨年より毎月『バッチ 植物のかたちとはたらき』の読書会を行っている。
植物を入口に、全ての存在が一つにつながっていることを日々に見出すのを喜びとしている。
url : http://www.spacehana.info


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第8回 みずさわ すいさん 「月もまた、わたしたちの内にある」

2015年1月5日


宇宙は外にありながら内にあるもの。

そうであるのなら、月もまた、わたしたちの内にある。

「月のわたし」を想うようになったのは、占星術にまつわることばを本格的に綴るようになった4年ほど前のことだろうか。「月のわたし」を想ってみる。そこにはちいさな女の子が、なぜか「もののけ姫」のように、村上春樹の小説に出て来る「羊男」のように、獣の毛皮をかぶって、薄汚れた様子で、暗がりにぽつんと立っていた。少し怒っているようで、わたしとは話したくないようだった。

それから時折、わたしは彼女に声を掛けるようになった。けれど、彼女は警戒し、「お前なんかと話すもんか」といった様子で突っぱねた。どのみちわたしが話す内容には、並べたててみたきれいごとには、さして興味がなかったのだろう。でも。内容ではなく、わたしが話しかけ続けたこと、その行為が、彼女のこころを少しずつ変えていったようだった。彼女は少しずつ、少しずつ、こころをひらいていった。そして、たまに笑うようになった。

彼女は、わたしの手を取って、彼女が棲んでいるその暗がりの世界を少しずつ見せてくれた。彼女はほとんど喋らない。けれど、暗がりの世界のひとつひとつを見せることで、わたしに伝え続けた。そこに現れるものたちに、わたしが怯えたり、見て見ぬ振りをしたり、ひるんだりしても、彼女はいつも動じず、ただそこにいた。

わたしには暗すぎてはっきりみえないその世界を、彼女はよく知っていた。どこに何があるのか。この道はどこへ通じているのか。彼女に連れられて探求するにつれ、その世界が思っているよりも遥かに、ずっと遥かに、とてつもなく広いことを、わたしは知った。でも、彼女はどこがどこなのか、ちゃんとわかっている。わたしを驚かす何かがあったとしても、彼女はそのこともずっと前から知っているようだった。そうしてゆく内に、わたしは気づいたのだ。「この世界そのものが、彼女であるのかもしれない」と。

彼女は、ちいさく、原始的で、喋らない。けれど彼女は、その暗がりの世界がわたしのために象徴として差し出したちいさな偶像にすぎなかった。彼女は相変わらずそこにいて、わたしの手を引いて暗がりを案内してくれる。でも、今では知っている。彼女は子どもであって子どもではないこと。その世界そのものであり、それを育むものであること。そして、その世界は無尽蔵に広いのだということを。

彼女を灯りのもとに連れ出すべきだ。そんな風に思ったこともあった。けれど、そんな必要がないことも今ではよくわかっている。その暗がりは、そのまま、暗いまま、けれど暗いからこそ、生命を宿し、生命を育むことができる。そして、この暗がりを奥へ奥へと進むことで、わたしは、ずっとずっと遠いところにある星に手を伸ばしている。

彼女は、今までもこれからも、それそのものとしてそこにあって、何も喋らず、わたしと手をつなぎ、わたしの手を引く。

わたしにそうすることを、彼女は、まるで母が子を想うように、大切に、愛おしく、思ってくれている。



みずさわ すい
creative writing / translation
旅と映画と音楽でいっぱいの大学時代。
音楽のお仕事
映画のお仕事に奔走した日々。
「Art of living」をテーマに「ことばを紡ぎ、伝えること」をする今。
web site:http://suimizusawa.petit.cc
twitter:https://twitter.com/suimizusawa


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第7回 大森木綿子さん 「心の中にある月」

2014年12月6日





生まれたときからある月、これまで何度も見上げてきました。
月を見つめると、心が落ち着くのはなぜでしょうね。
心が自然と月に語りかけていて、気持ちが整っていくような気がします。

「心の中にある月」は、「月のふゆじたく展~ジョイのいる部屋~」の絵を描く時に
イメージしていたことでした。

マヒナファーマシーの中山さんから展示への想いや、月の興味深いお話をお伺いする機会があり
その時に引いた1枚のマナカードが、「ALOHA」というカードでした。

大人の手が子供の手をにぎっていて、周囲には竹とハイビスカスが配された愛情あふれる絵柄。
実際にALOHAは愛を意味するカードで、ひとつひとつのアルファベットにも
深い意味があるのだそうです。
私は「心の中にある月」とALOHAの言葉をみつめて描きたいと思って想像をふくらませました。
そして出来たのが、「ジョイのいる部屋」の絵です。

カーテンの奥に広がっているのは、ジョイ(喜び)という女の子のあたたかな心の部屋。
ちいさな小鳥を抱くように、そっと胸の奥にこのお部屋があります。
山の自然風景の中に佇む月。
テーブルの上には、お気に入りのマグカップがあって、くつろぎながら大切に時間をすごしている。
そんな風景です。

絵を初めて中山さんに見て頂いた時、
マナカードと同じような愛のイメージを感じると言って頂きました。
わたしがみつめたものと、絵との間に繋がりが生まれたような気がして、深く心に残った言葉です。

マヒナファーマシーとの出会いから、月により親しみを感じるようになっていきました。
身体も月のリズムにだんだんと寄り添ってきたようで、不思議ですが、心地が良いです。

自分の「心の中にある月」と「空にある月」
対話する時間を大切にしたいと思っています。



大森木綿子
イラストレーター
水彩・色鉛筆・クレヨンなど様々な素材を用いて、心に浮かんだことや、身の周りの風景を描く。
ポストカード、テキスタイル、パッケージ、書籍などにイラストを手掛ける他、各地のイベントに「カード屋さん」で出店も。
omoriyuko.com


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第6回 萩原美貴さん 「月に祈れば」

2014年11月7日


月という存在を初めて意識したのはいつですか?。
わたしの場合、幼少期のある晩、田舎の田んぼ道を伯父に手を引かれて歩いていたときです。街灯のない中、柔らかな白い光に影ができていることに不思議を感じ、伯父に尋ねると、今夜は満月だからだと言う。見上げると輝く満月。そのとき、月は美しく神秘的な存在として、わたしの世界とつながりました。さみしいとき、不安なとき、家族や誰かをおもうとき、月に打ち明け、そして祈ります。気づけば、月はわたしにとって、すべてさらけ出せる、魂の源の母のような存在となっていました。

10年前、波動の高い山に生息するミツバチからの恩恵であるミツロウとの出合いがありました。きれいな黄色をした素晴らしいミツロウです。そのエネルギーを、新月の始まりのエネルギーと合わせたらきっと素敵なものになるだろう、さらに植物のエネルギーも合わせたらもっと素敵だろう、クリームを使う人がじぶんの中心に戻れるようなそういうクリームになるのではないだろうか。そんな自然なひらめきから、新月のミツロウクリームを作り続けています。目に見えるかたちではごく普通のミツロウクリームですが、新月のエネルギーと波動高い場の自然からの恩恵がわたしたちをエネルギーレベルでサポートしてくれる、そんなクリームです。エネルギーは目に見えないので感じていただくしかないのですが、眉間や丹田に塗って、自身の内側をじっくり感じてみていただくのはおすすめの使い方のひとつです。新月は、見えないけれどそこに在ります。見えないのに、在る。目に見えるものから刺激や影響を受けやすい現代に生きるわたしたちは、目に見えないけれど、そこに在る、多くのそういうものを感じながら、地球はもちろん宇宙全体から育まれているのだと思うのです。そして宇宙はいつもわたしたちの在り方を見ている、そんなふうに感じてなりません。

さて、R.シュタイナーが洞察したバイオグラフィーにおいて、“ムーンノード”というものがあります。月は18年7ヶ月のリズムで宇宙を一巡します。月はわたしが生まれた時に在った位置に18年7ヶ月かけて戻り、それをムーンノードといいます。1回目のムーンノードは18歳と7ヶ月に、2回目は37歳と2ヶ月に。このとき、高次の自我がとても強く影響を及ぼすといわれ、その時期の前後、人生の意味や使命、これからの人生を垣間みるような出来事があるとシュタイナーは言っています。みなさんにも思い当たることはあるのではないでしょうか?寒くなり自身の内側へと向きやすくなる時期、じぶんのムーンノードに気づいたことなどを書き出してみるのもいいですね。きっと月が教えてくれることがあるでしょう。 



萩原美貴 miki hagiwara
ミツロウ作家 自然療法愛好家
シュタイナー学校7年生の息子と夫の3人家族で小金井市在住。
子どもたちとお母さんたちのサポートをライフワークとしている。


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第5回 木下千絵さん 「月の王子」

2014年10月8日





ある街にマナという女の子がいました。
マナは空を見上げるのが好きでよく空を見上げては、「空の上はどんな感じかなぁ」とぼんやり思っていました。

ある満月の夜のこと。
マナは部屋の窓からお月さまをながめながら、
「月をみていると不思議なきもちになるわ。今夜はステキなことがおこりそう」とわくわくしていました。
ふと、窓の外に目をやると、1本の木の下に1人の男の子が立っているのに気が付きました。
そして、その男の子はマナのほうに歩いてきます。
「こんばんは、マナさん。ボクは月からやってきた月の王子です。」
とその男の子はいいました。
「月の王子?」とマナがふしぎそうにたずねると、
「そう、ボクはあのまんまるお月さまからやってきました。
マナさんも一緒にあの月に行きませんか?」と王子はマナをさそいました。
マナは少しとまどいましたが、
「なんだか月の魔法がかかっているみたい」
と楽しくなって、王子のさそいをうけることにしました。

「でも、どうやって遠くのお月さまで行くの?」とマナが聞くと、
「大丈夫、ボクにまかせて」と王子はいい、マナと手をつなぎました。
そして、王子が口笛をふくと、白い鳥たちがマナと王子の前にあらわれて2人を月まで運んでくれたのです。
鳥に乗って空をとぶのははじめてでしたが、月の王子と手をつないでいたので安心でした。
マナは、空をとぶのは自由できもちのいいものだと知りました。



白い鳥にお礼をいうとマナは月におりました。
「ここが月なのね、なんだかとても明るいわ」とマナは思いました。
月ではウサギたちが宴の準備をしていました。
「ようこそ、マナさん。おまちしていました。」とウサギたちがむかえてくれました。
「月にはほんとうにウサギがいるのね。」とマナは嬉しくなりました。
「マナさん、こちらへどうぞ!」とウサギたちに案内されていくと、そこには可愛らしいお洋服がたくさんありました。
「どれでもお好きなモノをおえらび下さい」とウサギたちはいいました。
「まぁステキ!」とマナは目をきらきらさせてお洋服をえらびました。
「これにするわ」とマナがえらんだのは、きれいなむらさき色のワンピースでした。
ウサギたちは髪を結ってくれ、お化粧もしてくれました。

「さぁ、準備はととのいましたね。満月の宴のはじまりです」と王子がいうと、
かろやかな音楽が流れました。
テーブルの上には色とりどりのお料理とお花がならんでいます。
「月では満月の夜に季節に合せた宴をひらいているんですよ。
また一つの季節がめぐってきたこと。それを感じられることに感謝して。」
と王子が教えてくれました。

「マナさん、ボクと一緒にダンスをおどりませんか?」
と王子がさそいました。
マナはダンスをおどったことがなかったのでとまどいましたが、
「大丈夫、ボクにまかせてください。」と王子がいうので、さそいをうけることにしました。
音楽に合わせてゆったりのんびり踊ります。
王子が手をとってくれているので、安心です。
ふわーり、ふわーり、マナのドレスも音に合わせてゆれています。
マナは、おどることはきもちよくて楽しいことだと知りました。

「月の王子、月ってとっても楽しいところね。
わたしずっとここにいたいけど、街での暮らしも大切なの。」とマナがいうと、
「大丈夫、毎月、満月の夜にボクがむかえに行きますよ。
それまで街での暮らしを楽しんでください。」と王子はいいました。
「なんて素敵なおさそい!」とマナはおもい、嬉しくなりました。
「わかったわ、王子。満月の夜を楽しみにしているね」というと、
また白い鳥にはこんでもらって街にある自分の家に帰りました。



つぎの朝、マナはふしぎな気持ちで目を覚ましました。
「昨日の夜、月に行ったこと、あれは夢だったのかしら」とマナが少しさみしく思っていると、
マナは自分が指輪をしていることに気がつきました。
それは昨日の夜、月の王子がマナにプレゼントしたものでした。
七色に光る石のついた指輪。
その指輪を見ながら、
「やっぱり夢じゃなかったのね」とマナはうれしくなり、
その指輪に「満月の指輪」と名前をつけました。
そして、つぎの満月がくるまでその指輪を身につけてとても大切にしました。

だんだんと月が満ちていき、また満月の夜になりました。
約束のとおり王子は木の下にあらわれ、マナを迎えにきました。
「マナさん、お迎えにきました。」
「ありがとう、月の王子。わたし、満月の夜をとても楽しみにしていたの。」
こうして、毎月満月の夜になると2人は月に行って、楽しい時間を一緒にすごしています。
マナと月の王子のすてきな、すてきな満月の物語。

おしまい



木下千絵(きのしたちえ) 
イラスト・絵本作家。
1984年 島根県奥出雲町出身。
2011年、地元にUターンし絵の創作活動をはじめる。
現在はカフェやギャラリー、イベントでの展示とともに、
地元の小学校や幼児園で絵本の読み聞かせやお絵描きワークショップを行っている。
日々の生活のなかで感じたことを絵と言葉で表現している。
自然とモノを創ること、子どもたちが大好き。
ブログ:http://ameblo.jp/hygge2/


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第4回 三浦雄大さん 「ツクヨミの山・月山」

2014年9月9日


 山形県の中心部に位置する出羽三山の主峰・月山(標高1,984m)は、月読命(ツクヨミノミコト)が鎮座する美しいお山だ。古来より東北の総鎮守として知られた霊山で、白装束を纏った山伏たちが修行を行う山岳信仰が今もなお息づいている聖地。山伏の世界において出羽三山とは、羽黒山=現在、月山=過去、湯殿山=未来という意味が込められていて、この三つの山を駆けることによって山伏たちは擬死再生を体験する、すなわち「よみがえりの行」をするのだ。

 僕は32歳の時、山伏となった。

 2012年の夏、はじめての修行の最中、僕は月山の天国のような光景に感動していた。美しい緑の草原には、色とりどりの高山植物が咲き、白い雲は爽やかな風とともに流れ、青空はどこまでも深く鮮烈だった。山頂にある月山神社を目指して山を登っていると突如、さっきまで見ていた鮮烈な色彩は、霧の中に包まれ真っ白になった。列をなして歩く人の姿がぼんやりと薄れていくのに、灰色の岩はやけに存在感を増している。日常とはまるで別の世界に足を踏み入れたかのような感覚。この時「月山は過去であり、死を象徴するお山だ」という山伏の言葉が頭の中に響いた。古来から山を神秘的な存在として捉えていた日本人にとって、月読命が鎮座する月山は、とりわけ特別なお山であったに違いない。「そうか、ここはまさにツクヨミの山、黄泉の世界なのか」と、身体で感じた瞬間だった。

 それ以来、僕にとっても月山はとても特別な山となった。毎朝起きると、まず月山を見る。月山に雲がかかっていて見えない日は心の中に焼きついた月山の姿に手を合わせ、晴れてくっきりと月山が見える日はそれだけで一日幸せな気持ちになれる。僕の心と月山は、確かに呼応している。



 古の時代から少し昔まで、日本の暦は太陰暦だったという。つまり古来から日本人の暮らしは月とともにあったのだ。月は、農業や漁業に大きな影響を与えるのと同じように、人にも大きな影響を与える。月の満ち欠けは、地球に息づく生命のリズムそのものなのだと思う。現在、日本で使われている太陽暦は、太陽の動きで作られた暦だ。満ち欠けのない太陽のリズムで生かされている現代人は、満ちていることにすっかり慣れてしまって、欠けることに怯えているかのようにすら感じることがある。

 人はみな、いずれ死ぬのだ。生と死は、常に自分自身の中にある。死から目を背け、生ばかり見ているうちは、自分の本質から目を背けているのと同じことなのだ。これは僕が山伏修業をして強く感じたことだ。今までは「どう生きるか」としか考えていなかった自分が、今では「どう死ぬか」とも考えている。不思議なもので「どう死ぬか」と考えると、自らに与えられた生命の限られた時間をもう余計なことに費やしたくないと思う。自分が本当にやりたいこと、やるべきことがはっきりと見えてくる。自分の本質がとたんに剥き出しになるのだ。お天道様には嘘はつけない、お月様には嘘をつこうとも思わない。

月と月山は、いつもそこにある。

だから、僕は月山に登る。
だから今、月を見ることがとても大切だと思う。



三浦 雄大 miura takehiro
デザイナー/山伏
1980年山形県鶴岡市出身。高校卒業後、美術の道を志し、仙台→フランス→東京→沖縄→北海道と12年かけて放浪する。2011年東日本大震災を機に地元に帰り、デザイン事務所「IDEHA Creation」を設立。2012年出羽三山神社「秋の峰」に入峰し、山伏名「光貴」を授かる。2014年「LLP.いでは堂」共同代表。趣味はバックカントリースノーボード。暇さえあれば山に行く。


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第3回 山田マミさん 「ワインを感じる。」

2014年8月11日


ビオディナミ(バイオダイナミック)と呼ばれる、月をはじめとする天体の動きやエネルギーをブドウ栽培やワイン醸造の過程に取り入れ て作られたワインがあります。たとえば、満月の日は、月の引力によって水分や土壌の養分が十分に引き上げられ、エネルギーの高い状態 のブドウになると信じられていて収穫作業を満月の夜に行ったり、また逆に満月には、出来上がったワインが活発化し澱などが舞い上がっ てしまうため、瓶詰め作業は月の影響の少ない新月の日、静かな時にするなどが知られています。また、ビオディナミは、健全なブドウを 育てるために化学肥料や薬品に頼らない有機農法とも違い、その症状自体の原因を宇宙も含めた環境レベルで根源的に考え、解決していく というアプローチ。風邪を引いたら化学薬品ではなく漢方薬を飲むのが有機農法だとすれば、ビオディナミは、風邪を引く根本原因を改善 するという考え方です。
このような目に見えない力の作用を取り入れて出来たワインの味わいは、『この産地だからこういう味』、『このブドウ品種だからこういう味』という、従来の概念を覆すものが多く、とても驚かされることがあります。
ですが今日では、すでに植物における太陽の影響作用は認識されていますが、月による作用はまだ完全に認められていません。ワインは無 数の酵母の働きによって生み出される自然の産物。そのメカニズムすべてが解明されているわけではありません。ですから、この教科書ど おりにはいかない味わいの理由について議論がしばしば巻き起こります。『なぜ?』、『どうして?』、さらにはどちらが『良い?』『悪い?』 『自然派以外は不自然な味?』・・・。
もちろん、その議論や疑問は当然でそれ自体を悪いこととは思いませんが、一般の方にワインの楽しさを伝える私の仕事は、プロとしてときに『なぜ?』という疑問に教科書的に答えるだけでなく、そこにお客様ご自身が感じ、驚き、楽しむ、『ゆとりを残す』ことも大切では ないかとも思っています。


「ビオディナミワインは普通のワインより美味しいのですか?」 「カラダに良いのですか?」 と訊かれることがありますが、むしろ、誰かに「カラダに良い」と聞いたから選ぶのではなく、ご自身のカラダとの内なる対話によって「な んとなく私に合っているかも。」と感じられたら、それを選んでいただけたら良いのだと思います。
また、「ビオディナミは人間としてのあり方、考え方。」と言ったある有名な自然農法の造り手さんがいますが、私もそのように感じていま す。 例えば、理解できないものを否定しない。排除しない。見えるものだけでなく、時には感じるものを選択する。 答えを他者に求めない。自分の感性を信じる。答えの出ない時間も楽しむ、自身との対話の時間として楽しむ。 そんな、ココロとカラダの余裕を持つ。
月や天体のエネルギーを受けたビオディナミワインが、そんな人間としてのあり方、考え方を想うきっかけになるのであれば嬉しいと、私 は思っています。



山田マミ
プライベートソムリエ、La coccinelle (ラ・コクシネル)代表。
大学在学中のフランス留学をきっかけに、ワインとの出会い。卒業後、フレンチレストラン店長、ワインインポーター、webワインショップのライターなど、様々なワイン業界のステージで、その楽しさを伝えることを使命に14年、ワイン業界一筋で活動。プライベートソムリエとして2011年に独立。現在、年間でテイスティング(試飲)するワインは世界各国の約2000種類。さまざまなタイプのワインを知るなかで、ワインイベントのプロデュースや、プラベートソムリエとしてお一人お一人のニーズに合わせたワインコーディネート販売を行っている。ちなみに現在、2児の母(娘2人)。仕事と子育ての両立にも、奮闘中。​

ラ・コクシネル = テントウムシ(仏語)
テントウムシは、自然派ワインの象徴。テントウムシは、いつも太陽へ向かう『天道虫』。自然な造りのワインを、自然なカタチで​あなたのライフスタイルに取り入れて。​そして、ワインの楽しさを知って、前向きで太陽のように明るい毎日が送れますように。​
​​
url : 『あなただけのプライベートソムリエに。』



月の世界を伝える「あ。わ。の月」プロジェクト

月をキーワードとして、森羅万象の世界へ足を踏み入れようというプロジェクトです。
「あ」は「はじまり」、「わ」は「おわり」のこと。
「月」を知ることは命の「はじまり」と「おわり」と「はじまり」を知ることです。


イベント「十五夜 九九の宴」~月を映す、月を詩う~

秋の夜長、月は少し近くなる。

新月から満月へ、
月は、はじまりと終わりを繰り返す。
見えない世界から見える世界への営みを司り
私たちをじっと見つめている。
月は、しなやかに明日を生きる光の道しるべ。
夜空に浮かぶ月は、命の源。
生きることのほんとを教えてくれる。

古代の中国では、「九」は「身を折り曲げた雌の龍」を表す聖数でした。
人々は、その数が重なる日を最も大切な日と考え、身を清めて夜を迎えたといいます。
また、九の数は自然神を祀る祭祀に関わるため、
その日は、日本でも昔から人々は健やかな日々の暮らしに感謝をし、
自然の恵みがもたらす実りを分かち合い、五穀豊穣を祝ってきました。

そして、今年の九月の十五夜は九月九日、
重陽の節句と重なる特別な日となりました。
今ではほとんど忘れ去られてしまった重陽の節句ですが、
だからこそ、いにしえの気配がそこここに昇り立つ松江で
今宵はみなさんと共に月を愛でながらお祝いしたいと思います。

満月の月明かりの下で、あ。わ。の月がお届けする月を巡る旅。
やわらかな月の光がふさわしい松江の地で、映像と歌が相向こうて響き合う。
私たちの肌が覚えている月の気配を、ご一緒に体験してみてください。

DAY: 9.9/開場 18:30 開演 19:00 (休憩含めて2時間30分)
PLACE : 清光院下のギャラリー/島根県松江市外中原町198-1 
4,000円(菊酒、お食事代込)
月の小さな会席ごはんと菊の花びらが舞うお酒をご用意します。
限定30名/要予約
出演:写真家・赤阪友昭 音楽家・小島ケイタニーラブ
*一畑電鉄 松江宍道湖温泉駅下車 徒歩10分
(駐車スペースに限りがあります、お酒のご提供がございますので
 公共交通機関でのお越しをおすすめいたします。)

https://www.facebook.com/awanotsuki

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第2回 赤阪友昭さん 「月は客人(下)」

2014年7月12日


願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月の頃 西行

 昔から俳句ではなく和歌が好きだった。そのなかでも西行に魅かれ、冒頭の歌は特に気に入り真っ先に諳んじたものだ。「花」とは吉野の桜であり、「望月」は満月のことだ。吉野という地は、平安時代には辺境であり、すなわち死者に近しい山であった。そして、桜も月も彼にとっては「死」に直結するキーワードだった。彼はこの歌で望んだとおり、旧暦二月の満月の夜に亡くなったという。


 前回、「月が海をもたらしたのかもしれない」と書いた。この世界の多様な生命をもたらしたのが海であるならば、命の源泉は月であるとも言える。月が運んだ海のおかげで地球の重量が増し自転のスピードが25時間から24時間になったという説もあり、人の体内バイオリズムが25時間ならば、それは私たちの身体が月が来る前の地球に生きていた証となる。月は夜の闇に光をもたらした。かつて全くの闇に生きた私たちの祖先はどのように感じただろう。闇はすなわち死の世界であり、同時に死から生まれくる生の世界でもある。闇に現れた月は、命の在り方そのものとも言える。
 「闇」についての話をひとつ。毎年12月に奈良の春日大社で「おん祭り」という神事が行われる。深夜0時に「若宮」という神様を神輿に載せて運び出し、まる一日かけて芸能を奉納し、翌日の深夜0時にはお宮にお帰りいただくという不思議な儀礼である。今は12月16日と決まっているが、かつては12月の新月の夜とされていた。なぜなら闇こそが神様の時間だからだ。その由来は「闇」という文字に現されている。「門」構えは空間を意味し、その中の「音」は神様がこの世に現れるときには音がなるからだ。神社でまず鈴を鳴らしてから柏手を打つのは、神様が「現れた」ことにしてお祈りをするという人間の勝手な都合であって、本来は祈りがまず最初にあり、神が現れたときには音がなるというのだ。その神様が現れる空間や時間のことを「闇」という。私たちの生死を司る神は、「闇」に潜み私たちをじっと見ているのだ。

 月の在る夜に闇はなく、私たちはそこに命を映して生きている奇跡を感じることができる。新月となった闇夜の中、私たちはその暗闇に潜む月を待つ。命の奇跡を信じて。



赤阪友昭
1963年大阪生まれ。写真家。雑誌『Switch』や『Coyote』などに写真・文章を寄稿。
北米海岸の先住民族と過ごした時間を一冊にまとめた写真集『The Myth -神話の風景から-』がある。
現在は、山に残された原初の信仰、縄文文化や祭祀儀礼を取材。
また、福島県立博物館のプロジェクトに関わり、南相馬を拠点に被災地の撮影を続けている。
url : http://www.akasakatomoaki.net



月の世界を伝える「あ。わ。の月」プロジェクト

月をキーワードとして、森羅万象の世界へ足を踏み入れようというプロジェクトです。
「あ」は「はじまり」、「わ」は「おわり」のこと。
「月」を知ることは命の「はじまり」と「おわり」と「はじまり」を知ることです。

Web Magazine NIWAで赤阪さんが「森の記憶」と題して取材された記事です。
ゼヒ、ご一読ください。

http://niwa-magazine.com/listen/morinokioku/

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第2回 赤阪友昭さん 「月は客人(上)」

2014年6月13日


 季節が移り、夏が近づくと日が落ちた夜に散歩に出かけたくなることがある。空に満月が昇っていればなおさらのこと、月をお供に気がつけば小一時間も歩いていたりする。我が家のカレンダーはもう何年も前から月暦になっており、毎日の暮らしのどこかに月のリズムを感じている。

 月齢を意識するようになったのは、学生時代に船の免許を取ってからだと思う。夏の間、瀬戸内の小さな島で町から離れたキャンプ場に船で食材を届ける仕事をしていたことがある。潮の干満に合わせて桟橋に結ぶロープの長さを気にしなければならず、自ずと月の巡りを気にするようになった。ただ、その頃は月は海の向こう側にあるだけの存在だった。

 月が闇と光をもたらすことを知ったのは、写真を撮り始めて間もない頃だ。当時、オーロラの撮影のためによくアラスカへと旅をした。氷河帯で何日もテントを張り、オーロラを待って撮影をする。背後には北米大陸最高峰六千メートルを越えるマッキンレー山が聳え、目の前には三千メートル級の山々が広がっていた。雄大な風景に合わせてオーロラを一枚の写真におさめたい、それには月の巡りが大切な役目を負うことになる。満月では明るすぎてオーロラや星が写りにくく、逆に新月だと暗すぎて風景は真っ黒な陰となるため、ちょうど半月の頃を見定めて撮影にでかけた。山から昇る月の明かりはマイナス二十度の氷河の上に私の影をつくり、月を覆うオーロラはその影をさらに濃くした。


 いったい、月はいつから私たちと共に在るのだろう?
かつて、この地球には月が二つあった時代があるという。今のものよりも前にあった月は緑色で、次第に遠のきやがて地球を離れていった。そして、今の月がやってきた。たまたま地球の側を通過した彗星が引力に引き寄せられ月になったという話。彗星の核は塵などを含んだ氷でできていて、太陽からの放射エネルギーを受けて長い尾を引く。月は氷の塊だった。太陽の熱で溶けた氷は地上に降り注ぎ、今の広大な海を作り上げた。神話に残る大洪水は、そんな月からの贈りものだったのかもしれない。
(続く)



赤阪友昭
1963年大阪生まれ。写真家。雑誌『Switch』や『Coyote』などに写真・文章を寄稿。
北米海岸の先住民族と過ごした時間を一冊にまとめた写真集『The Myth -神話の風景から-』がある。
現在は、山に残された原初の信仰、縄文文化や祭祀儀礼を取材。
また、福島県立博物館のプロジェクトに関わり、南相馬を拠点に被災地の撮影を続けている。
url : http://www.akasakatomoaki.net



月の世界を伝える「あ。わ。の月」プロジェクト

月をキーワードとして、森羅万象の世界へ足を踏み入れようというプロジェクトです。
「あ」は「はじまり」、「わ」は「おわり」のこと。
「月」を知ることは命の「はじまり」と「おわり」と「はじまり」を知ることです。

海をもたらしたのは彗星だった月である、というお話があります。
もし、それが本当ならば月は命の源である海と直ちに結びついていることになります。
この地球に生きるすべての命は月とともに生きてきたとも言えるでしょう。
今回の月を巡る旅は、お話ではなく、月と命のつながりを
「見て」、「聞いて」、「感じる」ことに意識をむけてみたいと思います。

あらゆる命の存在には理由があります。
たとえば、私たちが「森」と呼ぶとき、何を想像するでしょう?
たくさんの樹木や動物たちでしょうか?
一本の大木が倒れた場所に陽が射すと、多くの植物の種がいっせいに芽吹くように、
森は、無数の死と無数の生という命の循環の総体として存在しています。
私たち人間を含めたあらゆる生命もまた皆同じです。

アラスカ取材中の写真家・赤阪友昭にかわり、
音楽家・小島ケイタニーラブがナビゲートする特別上映会です。
赤阪がこの日のためにセレクトした貴重映像の上映の他、
赤阪の写真と小島ケイタニーラブのサウンドトラックによる
初のコラボレーションが実現したスライドを特別公開します。


2014年7月12日(土) 下北沢B&B 19:00〜
「月のおやまの望月幻灯会」月を巡る旅のお話 vol.03
出演:小島ケイターニーラブ(音楽家)
USTREAM生放送予定:http://www.ustream.tv/channel/awanotsuki
お問い合わせ:http://bookandbeer.com/


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第1回 小川敦子さん 「はじまりの月(下)」

2014年5月15日


 悠久のときを感じさせる森や田園風景。電線や電灯などひとつもない。そんな場所が、日本の各地に、ちゃんと残されています。中でも、古くから続く奈良の森の世界は、私にとって、古代の世界へと続くトリップの入り口のようなもの。風景や流れる風が、不思議といざなってくれるのです。

 古墳や古い神社や森に囲まれた、山辺の路をゆっくりと歩きながら、あちらこちらにある小さな祠に手を合わせ、丁寧に御参りする。手を合わせるとき、心に浮かんでくるのは「感謝」の心です。今の自分があること、生きていることに感謝する。そうして目に見えない「何か」を大切にする心と感覚を次第に取り戻していくのです。



 たくさんの大きな池。田畑のための貯水池でもあるのでしょうが、山辺の路のあちらこちらにあまりに大きな池があるので、古の人にとって、何か深い意味があったはず。そのように感じられました。きっと、大きな「水鏡」としての役割があったのではないでしょうか。

 月と水は再生を表す

 そんな考えを古の人が持っていた、という説があります。私は、大きな「水鏡」の前に立ち、そこに映りこむ「月の光」を想像しました。水と光が織りなす、とてつもなく幻想的な情景を前に、人々は、自身の先祖や亡くなった身内を弔いながら、この池でひたすら祈ったのではなかろうか。死と再生――大切な人たちが、またこの世に生まれ変わってくれるように、と。月夜の晩、女性たちが池に集まり、清らかな気持ちで祈っている姿。目を閉じて、風を感じながら、その場所に立っていると、そのような懐かしくて切ない情景が思い起こされ、自然と涙が流れてきました。

 かつて、日本人と月は、とても深い関係にあったのだと、私は思うのです。深い森の闇の世界で、たったひとつ光り輝く、月。それは、人々にとって、祈りの対象でもあり、もしかしたら、目には見えない世界への入り口のようなものだったかもしれないと。

 森の闇夜に浮かぶ満月を見上げ、池に映り込む月光を眺める。その野生に満ちた世界で、人々はきっと、今よりもずっと、心豊かにときを過ごしていたに違いありません。



小川敦子
企画・アートディレクター。主に、web magazine NIWAを企画・編集。「創造は、五感を刺激する」をテーマに、クリエイターがどんなことを考えながら創造しているのか伝えることをコンセプトにした読み物マガジン。ライター、編集者、ギャラリーオーナー、作り手、食堂オーナーなど、様々な分野で活躍するクリエイターによる連載を展開中。不定期で、衣類や香りのものをメインにmoaniというブランド名で、自身でもものづくりを行っている。
url : niwa-magazine.com



月の世界を伝える「あ。わ。の月」プロジェクト

月をキーワードとして、森羅万象の世界へ足を踏み入れようというプロジェクトです。
「あ」は「はじまり」、「わ」は「おわり」のこと。
「月」を知ることは命の「はじまり」と「おわり」と「はじまり」を知ることです。
隔月満月の夜に写真家の赤阪友昭さんと企画して、お話し会を開催しています。

2014年5月15日(木) 下北沢B&B 20:00〜
「月のおやまとエミシの森」月を巡る旅のお話 vol.02
出演:赤阪友昭(写真家)、小島ケイターニーラブ(音楽家)
お問い合わせ:http://bookandbeer.com/blog/event/20140515_moon2/


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第1回 小川敦子さん 「はじまりの月(上)」

2014年4月29日


 月を眺めるということが、私たち日本人にとって、どのような意味があるのだろう―あるときから、そんなことを考えるようになりました。いつでも、どんなところにいても、誰にとっても、やさしい光で包み込んでくれる。月というのは、そんな存在に思えるのです。都会に暮らしていると、夜でも電気の明かりがあり、闇を感じることもほとんどない。そのせいでしょうか。日常において、月明かりの明るさやその美しさに感じ入ることは、余程意識しない限りは、なかなかありません。

 月明かりの「明かり」だけで、夜の闇を体感する。幼少期、祖父や祖母に連れられて、明かり一つない真っ暗な状況で、畑の真ん中から月や星を眺めたこと。震えるように感動したことを、今でもくっきりと記憶しています。闇の不思議な空気感。快感さえ覚えるぐらいの、わくわくとした心持ち。あまりにも壮大な空の世界に比べて、自分の存在がちっぽけなものに思えて、ある種の恐怖さえも感じました。

 数年前、そのような、わくわくした気持ちを思い出す出来事がありました。森の植物が見たくなり、単身ハワイに数日滞在したときです。ホテルのプール脇にある椅子に腰かけ、夜空を眺めていました。一年中、偏西風が吹くハワイでは、夜さえも心地のいい風が吹いています。そんなときです。星空と風と自分が、不思議と一体となったように感じられる瞬間がありました。こんな風に空を眺め、自然と一体になるような感じ方を、昔の日本人は常日頃していたのではないか。ふっと、そのようなイメージが、頭に浮かびました。

イラスト「mizu no yuragi」西村ゆか

 ハワイでは、森に入るときには、森の許しを得る必要があり、チャントというお祈りとともに、森の植物で編んだ「フラワーレイ」を捧げるという風習があるそうです。葉の一枚一枚さえも、自然の至る所に神が宿っていると信じている。自然に対して畏敬の念を持って、接するのです。さらに、畏敬という念の先にあるもの。それは、自然との向き合い方、といえばいいのでしょうか。空、光、風、水、土―自然と自分自身が、一体になるかのような独特の感覚。頭で考えるというよりも、心で感じるものであり、極論を言えば、五感を超えた、六感、七感の世界なのかもしれません。ハワイを訪れ、土地の空気感を体感することで、「かつての日本人もそうだった」ということを実感として感じたのです。自分自身の記憶が呼び覚まされたかのように・・・

 さらに、数年後、奈良県桜井市にある深い森を訪れたとき、よりいっそう確かなイメージとして実感されることになります。森の奥深くに分け入り、一本一本の樹と対峙する。古代、人が森とともに生きてきたころの、美しいイメージがありありと、心に思い浮かんできたのです。それは、いにしえの森と夜空に浮かぶ月の情景でした。(続く)



小川敦子
企画・アートディレクター。主に、web magazine NIWAを企画・編集。「創造は、五感を刺激する」をテーマに、クリエイターがどんなことを考えながら創造しているのか伝えることをコンセプトにした読み物マガジン。ライター、編集者、ギャラリーオーナー、作り手、食堂オーナーなど、様々な分野で活躍するクリエイターによる連載を展開中。不定期で、衣類や香りのものをメインにmoaniというブランド名で、自身でもものづくりを行っている。
url : niwa-magazine.com



月の世界を伝える「あ。わ。の月」プロジェクト

月をキーワードとして、森羅万象の世界へ足を踏み入れようというプロジェクトです。
「あ」は「はじまり」、「わ」は「おわり」のこと。
「月」を知ることは命の「はじまり」と「おわり」と「はじまり」を知ることです。
隔月満月の夜に写真家の赤阪友昭さんと企画して、お話し会を開催しています。

2014年5月15日(木) 下北沢B&B 20:00〜
「月のおやまとエミシの森」月を巡る旅のお話 vol.02
出演:赤阪友昭(写真家)、小島ケイターニーラブ(音楽家)
お問い合わせ:http://bookandbeer.com/blog/event/20140515_moon2/


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